【脱党支援センター2020年8月29日】
中国の土地改革は、中国共産党が1949年に政権を奪って最初に着手した全国規模の政治運動です。中国人研究家の譚松(たん・しょう)さんがこのほど中国国外で出版した『血紅的土地(血に染まる土地、邦訳なし)』には、土地改革の体験者100人以上への取材を通じて、残忍な歴史が掘り起されています。
かつて重慶師範大学渉外商貿学院で教鞭をとっていた譚松さんが土地改革の調査を開始したのは2003年で、調査は2017年に譚さんが学校を解雇され、米国に亡命するまで続けられました。この14年間に譚さんは、1950年から1953年に四川省重慶市とその周辺に居住し、土地改革で酷刑を受けた元地主、地主の家族、土地改革作業従事者、農民協会幹部、武装民兵、一般農民など、当時を知る人々を尋ね歩きました。
土地改革研究家 譚松さ
「この本の主な内容は、当時の土地改革運動の被害者や体験者、つまりあの政治運動の証人でもある彼らが語り、彼らが目撃した当時の状況だ。彼らの平均年齢は70過ぎから80歳で、こうした老人が彼らの当時の体験を語り、彼らがそれぞれの立場からあの運動の歴史的真相を掘り起こした」
譚さんはこの調査を行った動機について、少年時代に農村で3年間を過ごし、多くの農民とかかわる中で自分が中国共産党に騙されていることに気づいたからだと言います。
土地改革研究家 譚松さん
「私たちが中国共産党から受けた教育では、『地主は農民を虐げるもので、農民と地主は決して両立できない階級対立関係にあった』と教えられた。だが、農民と語り合ううちにそうではなかったと分かった。農民は当時、自ら進んで地主の家で働いており、人民公社で働きたいとは思っていなかった。私が出会ったほとんど全部の農民がそう思っていた」
しかし、譚松さんが調査を実際の行動に移した理由は、2003年に知った残忍な事件と、それによって生じた責任感でした。
譚さんは、この調査は非常に困難だったと明かしました。土地改革運動は中国共産党が合法的に政権を掌握するための基盤であり、いかなる調査も許さないためです。
土地改革研究家 譚松さん
「中国の共産党革命の合法性は、ほぼ土地改革によって成り立っている。なぜなら、共産党革命は搾取制度を撲滅し、労働者を解放し、農民に田畑を与え、労働者を国の政治的な主人とするというものだからだ。この中から別の主張や真相が明るみに出たら、革命の基盤が揺らいでしまう」
そのため譚さんはひそかに調査を行うしかなく、取材対象が証言することを恐れていたことも、調査をより難しくしていました。
譚さんは、調査の過程で最も深く心に刻まれたのがあの運動の残虐性だったと言います。
譚さんはこの本に『血に染まる土地』と名付けた理由について、中国共産党が政権を奪う前から行われていた土地革命で膨大な数の命が奪われ、政権を握った後の土地改革運動では川のごとく血が流され、現在の土地財政に至っては、いたるところで強制立ち退きが行われ、常に誰かが命を落とし、血を流していることを挙げ、中国の土地には赤い血がしみわたっているからだと語っています。
中国当局の公式データによると、土地改革運動で約3億の小作農(こさくのう)が7億ムー(約4700万ヘクタール)の土地、300万頭の耕作用家畜、約4000万の農機具を手に入れたとされています。表面的には「貧富の格差解消」運動が行われたように見えますが、1953年から始まった「集団土地所有制」と「農業合作化運動」によって、農民は土地を取り上げられてしまいました。
分析によると、中国共産党が政権の掌握を終えていた1950年には、国の立法と法の執行により完全に「貧富の差をなくす」という目的を達することができたはずですが、中共はそれを行いませんでした。土地改革の名を借りて、別の目的を果たそうとしていたのです。
土地改革研究家 譚松さん
「(土地改革は)中国共産党が党の権威を打ち立て、民衆をコントロールし、財産を奪い、末端にまで党を浸透させ、中国の伝統文化を消滅させ、マルクス・レーニン主義を中国に導入するための全国的な大運動だった」
『共産党についての九つの論評』編集部の新刊『共産主義の最終目的』は、農村地域の地主や地方の名士階級は、中国五千年の伝統文化を伝承する役割を担っていたと指摘しています。中国共産党のいう「土地改革」とは、暴力により農村における伝統文化の担い手を殺害し、それによって人類のモラルを破壊するものだったのです。
転載新唐人